私の中では、このプロジェクトの目的とイメージはしっかりと立ち上がっていました。
フェアトレードと同様に、被災地の人たちに商品を作ってもらい、
それを責任をもって全量買い取り、チャリティーではなく「商品」として日本全国で販売すること。
今で言えば復興支援グッズなので、このnoteを読んでくださっている方には分かっていただけるとは思うのですが、当時はそのような商品も概念もほとんど存在しませんでした。
そんな中、どうすれば現地と被災地とのネットワークを作り、事業としてこのプロジェクトを形にすることができるのか。
1話でお話しした、何とかつながった現地との縁。
一度も会ったことのない岩手のNPOの方に送った長い長い、お願いのメールをここで共有させていただきます。(長文ですが読んでもらえたら嬉しいです)
「さて、ここから本題です(長文です)
N様から聞いておられるかも知れませんが
私はフェアトレードを中心とした事業をおこなっております。
フェアトレードを広めるためには身近な場所で買える様にするために
流通業が取り扱うようにと、商業施設を説き伏せて
百貨店などでイベントを行いました。
今年も横浜・大阪・名古屋の高島屋で連続でイベントを行う予定です。ご存知のようにフェアトレードは何らかの厳しい環境におかれている人たち(主に貧困)から
適正な価格で商品を購入することです。
それが間接的で継続的な支援に繋がるからです。
そして、311に震災がおこりました。
私は阪神淡路大震災の被災者だったので、あのときの恐怖がよみがえってきて
また、あまりにもむごい映像を見て、かなり精神的に落ち込みました。そして、義援金しか送れない自分が腹立たしく
もどかしく、どうしようもない気分にで鬱々としておりました。
なにか出来ないか、出来ないかと思い
改めて自分の出来ることを考えたときに
フェアトレードのパートナーの中にも
ジャワ島沖地震の復興プロジェクトから生まれた商品があることを思い出したのです。途上国の貧困な国と日本は異なりますが
厳しい状態に置かれている人たちはどの国であっても同じはずと
遅まきながら気づきました。そしてプロジェクトを立ち上げようと思ったのです。
目的は
①小さな仕事を通じて被災した人々の尊厳を保つ
②仕事を通じて精神的なサポートにつなげる
③一般の人たちが簡単にサポートする機会を作り震災のことを忘れさせない取り組みはシンプルです。
小さな手仕事の仕事を作る。
私たちが全体戦略を考えて、商品開発、販売先とPRを行い、拡販する。
仕事の対価をお支払いする。①「小さな仕事を通じて被災した人々の尊厳を保つ」について
フェアトレードの現場である途上国を訪ねる機会が多いのですが、
ネパールの少数民族を訪ねたときに
「私たちは施しをほしいわけではない、自分達で作ったものを売って
自分達で収入を手に入れたい。なぜなら私たちにはタルー族の誇りがあるから」
と教えてくれました。
人間は、いつまでも施しで生きているのは辛いものです。
たとえわずかであっても、自分で稼いで、自立したいと心から願っていると思うのです。
②「仕事を通じて精神的なサポートにつなげる」について
みなさん悲惨な状態だと思います。家や財産を失った人
そして大切な家族を突然失った人、それは言葉では言い表せない辛さと思います。
実は、私も家族を事故で突然失いました。
24時間そのことばかりを考えて、このままどうにかなってしまうのではと
思いました。
そのときに
どうしてもやらなければいけない仕事、こんなときになぜ・・・と思いつつも
仕事を考える時間だけが、家族を失った悲しみを遠ざけてくれました。
そして仕事によって救われました。
③「一般の人たちが簡単にサポートする機会を作り震災のことを忘れさせない」について
どれだけ大きな震災でも遠くにいる人たちは報道が少なくなるにつれて
関心が薄れるのは仕方のないことです。
義援金も何度も何度も募金するわけには行かないと思うのです。
そんなときに、サポートできる商品があれば多くの人が
震災のことを再認識して、そして買物という形でサポートすることができるのではと思っています。
商品で考えているのは簡単なニットの小物です。
「編む」という行為はそれだけで、癒しの効果があると言われています。
しかも、道具がほとんど要らない。
どんな場所でもできる。
手作りの暖かさが表現できる。
輸送しても破損しにくいなど、様々なメリットがあります。
すでに、編み棒の大手C社さんの協力もいただける段取りになっています。仕組みについては、もう少し詳細を詰める必要はありますが
販売先の目処もつけることは可能です(っていうかやる以上は、徹底して販売します!)
そこでご相談です。
私には今回の震災現地の知り合いがいません。
被災地の現状も把握できておらず、どなたにどんな風に取り組みの相談をして良いのかが
全く見えていない状態です。
もし、私どもの考えに賛同していただけるのであれば
現地視察や人のご紹介などサポートの
お力添えいただけませんでしょうか。
メールだけでは抽象的な話しか伝わらないかと思いますが
もし、お時間が許せば今週末にでも出向いても良いかと思っています。突然、あまりにもあつかましいご相談で恐縮ですが
一度ご検討いただきたくお願い申し上げます。
お目にかかったこともないのに失礼な相談
どうかお許しくださいませ。」
数日後にメールの返信が届きました。
「NPOの代表に話をしました。会っても良いといわれたのですが、お会いしますか?」
担当者とは、メールと電話で少しだけやり取りをしただけなのに
自分の考えていることを理解してくれた。
まだ、県外の人が受け入れてくれる環境ではないのに、会ってくれるという。
そして東北への交通手段が医療関係者などで、ほとんど埋まっている時期に偶然にも一席だけ空いていた飛行機を見つけ、その4日後の4月16日に
私は被災地に向かいました。
こんな短期間にプロジェクトの基軸が整うなんて、まるで奇跡のようだ!
有頂天の私。
これから、やるぞとエネルギーだけが、溢れていました。
しかし、この時
ここから先に想像もしていなかったような苦労が待っているとは想像もできませんでした。