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―EASTLOOP物語 第4話―「私の背中を押したもの」

大阪に戻り、私は淡々と準備を進めました。

全体の構想を固め
手芸のメーカーを訪ね、デザイナーさんと会い
PRするために協力してくれそうな人を探し、とにかく多くの人に話を聞いてもらいました。


今、EAST LOOPのことを振り返りこのnoteを書いているのですが
昔の資料を見ても、なぜこんなに思いを持って進めたのか不思議です。

そもそも、被災地で誰が作ってくれるのか
それすら決まっていないのに・・・。


一見思いつきで動いているようにしか見えないのですが、
当時の私は、被災地の人たちの心を元気にするための「本質」が少し見えていたのかもしれません。

最初に、NPOの方に送った長文メールに書いていたこと(第2話参照)を少しだけ深堀させてください。

〇自分が見てきたこと

最貧国の一つであるネパール。首都カトマンズから車で8時間も離れたチトワンという街。
そこに住んでいたのはタルー族という少数民族で、ヒンドゥー教における身分制度でカーストの下位に属していました。
当時、すでに海外からの援助も入り子供たちも制服を着て学校に通っていました。
しかし住まいは土壁に囲まれた空間、家の中に床はなく薄い敷物があるだけでした。

この人たち可哀そうすぎる。寄付をしてあげた方が良いかも。

そう思ったのですが、彼女たちは自分たちで作ったものを購入してほしいと訴えてきました。

画像1



「私たちは乞食ではない。タルー族としての誇りがあるから自立して生きていきたい」と。

ああっ、そうか。
可哀そうと思っていた私は、いつの間にか施すものと施されるものと境界線を作っていたことに気づきました。
人は「お金をもらえること」が幸せなのではなく「自ら自立して、人の役に立つこと」
それが幸せの要素の一つ
なのだと気づいたのです。


〇自分が経験したこと

私は数年前に共に生活していた家族を、海の事故で突然亡くしました

行方不明という中途半端な言葉に翻弄され、わずかな期待と絶望との間を何度も行き来する辛さを経験しました。

そして、最後には絶望を突き付けられたのです。


持っていきようのない悲しみの最中でも、自分が手掛けていたいくつかの仕事は待ったなしの状態で降りかかってきました。

事情がどうであろうと、心がズタズタになっていようと、たくさんの方が関わっている仕事を止めるわけにはいきませんでした。
悲しみや辛さに蓋をして何とか仕事をこなしていくには、集中して仕事にのめりこむしか方法がありませんでした。
のめりこんでいる間だけ、ほんのわずかですが心が前向きになっていました。
24時間の悲しみの時間の中に、異なる要素を入れることで前を向けるようになったのです。

残念ながらどんなに悲しく辛いことがあっても、人は生きていかなくてはいけません。

少しでも前を向けるように、無理のない範囲で夢中になれることを作ることが大切だと、この時の自らの体験が教えてくれました。


こんな経験を持っていたので、自分が手掛けようとしていたことが
被災した人たちにとってきっと必要になると確信していたのだと思います。

そんなときにインターネットで、ある僧侶の方の言葉を見つけました。

「人間の究極の幸せは4つ。

愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
必要とされること。

働くことで、このうち3つが満たされる

私の背中をさらに強く押してくれた言葉でした。



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